賑やかなお店の入り口あたり、暖色の照明がキラキラしていた。
取っ手の曲がりは木で作られていて、落ち着いた唐草模様の焼き印は私の自慢の一つ。
広げるとパンっと、自信満々、骨格は気持ちよくしなって張った。
どんな人が私を買ってゆくのだろう。
手に取られる度に鼓動は早く鳴った。
初めての持ち主はとてもよい扱いをしてくれる人だった。
雨に濡れた後はちゃんと干してくれたし、きれいに畳んでくれた。
だけど店先で間違えたフリをして勝手に持ち出した次の持ち主の扱いはひどかった。
特に、コツコツと杖のように先を突いて歩く癖。
芯に響いて堪えた。
やがて電車の中で置き忘れられた私は、同じように多くの引き取り手のない忘れられた傘達と共にコンテナに乗せられ、遠い国へ送り出された。
船の底は深く藍い飴色のよう。
静かで時折きしむ音がゆらゆら響いた。
私たちはそれぞれの生い立ちを語り合ったり、深く眠ったりした。
雨の多い南の国へ着いた私は、それからたくさんの人達を雨に濡らさずに過ごしてきた。
時には、一緒に歌を歌いながら小雨の中をクルクルと走り回ったり。
時には、木の下で子供達が揺らして落とす木の実を逆さになって受け止めたり。
時には、八つ当たりされたり。
やがて大きな風を受けて半分がつぶれてしまった私は、捨てられ、飛ばされてこの集積場の角にやってきた。
開いたままの私が影を作るので、小さな草達は文句を言った。
何もない、尽きることのない時間が永遠の砂時計のよう。
自分が何ものなのかすら分からなくなり、穏やかで幸せでもあった。
やがて、しおれるように朽ちてなくなってゆくのだろう。
ある雨の日、濡れた猫の親子が雨を凌ぐためにやってきた。
母猫は子どもの毛繕いをし、楽しい夢でも見ているのだろう、子猫はスンスンと鼻を鳴らしていた。
ぷつぷつ、ぷつぷつと雨は鳴り続けていた。
濡れない場所に居れば、それは安らぎの音。
私はぼろぼろの身体をめいっぱい広げて、猫の親子に雨の粉があたらないようにした。
私は傘、やっぱりこの時が一番幸せなのだ。
【雨大好き紫陽花】
嬉しそう。
【お日様大好き野菊】
こちらは雨は苦手みたい、花びらは閉じている。
2011/6ありけん日記より