学生食堂で四人は盛り上がっていた。
学園祭で1回限りの企画バンドをやろうというということになったのだ。
普段はそれぞれ自分がメインとするバンドをやっているため、こういう企画バンドはリラックスしてて楽しくやれるからね。
あれをやろう、これもやろうと盛り上がってゆく中、リーダーの英二が以前から考えていたバンド名を『ファットボム』と発表した。
自分はその名を聞いて困惑してしまった。
それは長崎、広島に落下された原子爆弾の名前と同じだったからだ。
64年前の8月6日、本来福岡市を目指したはずのファットボムは、曇天のため第二目標の長崎へと運ばれていった。
小学校の頃から、夏休みの登校日でもそのことについて語られ、時間になると学校全体で黙祷を捧げたものだった。
地域全体で哀悼の意識も高く、その反戦意識は知らずと染み込んで育ったのだろう。
なぜ、そんな名前を。
自分は、盛り上がりの最中に言いにくいとは思ったが、その名前ならば自分はやらないと理由もつけてはっきりと言った。
当時19歳、アウトローがかっこいいとされていたバンド仲間に、こういうことを言うのは勇気がいった。
次の日、英二が駆けて来て僕に言った。
ごめん!俺が決めたかったバンド名はファットボムでなくて、ファートボムだったよ。
意味はね、『おなら爆弾』。
僕らは大笑いした。
洋楽バンドの歌詞から得たネーミングだったのだが、読み方を間違えていたらしい。
それならばぜんぜん問題はないとスタートしたファートボム。
演奏曲は、全曲ハードコア(すごいうるさくて早い)だった。
「全員ビキニパンツで出ようぜ!」
「いや、おれ、全裸で出る!」
ビキニパンツも全裸もいやだった自分は 女装で出ることになった。
無茶な仲間だったが、本当はみんな優しかった。
【森へゆこう】
今日は8月15日、戦後64周年。
今では多くの平成生まれが各所で活躍している。
あるご年配の方が言った。
最近の若者はこの不景気情勢の中で、可哀想だ。
私らの時代は、経済の成長期で活気があって本当によかった。
自分はそうは思わない。
若者もそうは思わない。
へんぴな場所で芽吹いた草がそれでも凛と生きるように、踏みつぶされてもまた生えてくるように、多くの若者達は頑張っている。
そんな場面をよく目にするのだ。
「余命3ヶ月を言い渡された私が、あれから1年経った今でもまだ生きている。
だけどその間に、余命を言い渡されなかった人達がどれだけ死んだと思う?
明日が来るって、幸せなことだったんだね。」
数年前に乳がんで亡くなった、愛すべき友人が言った言葉だ。
冷夏と言われるこの夏、今日は久しぶりの青空。
窓を開けて見渡す視界は小さな世界だけど、見上げる空は世界をぐるりと包んでまた戻ってきている。
今日があるのは、素晴らしい。
戦時中を生きた人達がいる。
戦後を生きた人達がいる。
高度経済成長期を生きた人達がいる。
僕らは低迷の時代を生きる人達なのかもしれない。
だけど、大丈夫。
前を向いて、さあ、共にこの時代を歩んでゆきましょう。
【世界は続いている】
【命は、あきらめない】