こっちを見た人達がまた笑いながら通り過ぎていった。
僕は恥ずかしくなっていた。
確かに合理的だ。見上げてみてもそれは安定して空を泳いでいる。
しかし、いくら何でも遠投用の釣り竿でやらなくても。
大きなグラウンドの端の方、釣り竿を空に向けて凧を飛ばしている祖父と僕がいた。
毎年正月は、家族で福岡の甘木にある祖父母の元へ帰った。
冬は他の季節と違って遊びのメニューが極端に少なく、どこかに連れてってとせがむ僕に祖父は凧を買ってくれた。
しかし、グランドに向かう祖父の手にはリール付きの釣り竿が2本握られていた。
嫌な予感は的中した。
釣り竿の先に付けられたのは針と糸や浮きではなく、凧だった。
他の子ども達は、黄色い棒に巻かれた白い凧糸を持って走り回っている。
青空、黄色、白、凧、なんともよい絵ではないか。
しかし、その横を釣り竿の先に凧を付けて駆け抜けなければならない少年の気持ちは、凧よりも揺れていた。
祖父は自分のナイスアイデアに自信満々である。
まさか「帰ろう」なんて言い出せなかった。
気持ちとは裏腹に凧はどんどん上り始めた。
釣り好きの僕はリール竿の扱いには慣れていた。
風に乗れば、留め金を外して糸を送り出す。少し送り出しては留め金をかける。
風が変わるたびに竿先はしなり、それは本当に釣りをしているようだった。
僕は、大物が釣れたようにぐいぐいと竿をしならせたみた。
空の凧は少し遅れて首を振るように大きく揺れて、また安定した。
50メートル程巻かれたリールの糸は全て送り出された。
糸が透明なのでまるで凧は空を自分の意志で飛んでいるよう。愉快だった。
人に笑われながらも、楽しいと思った。
草がちらほら生えてはじめるグランドの端の方。
腰を下ろし、釣り竿を握り、空を見上げている祖父と僕がいた。
凧上げは人生と似ている。
地面で糸を操る『上げる自分』と、空で風と直接風と戦う『凧の自分』が同時に存在している。
つまり、冷静と情熱やね。
『凧の自分』ばかりになると、全体が見えなくなってそのうちクルクル回り出すし。
『上げる自分』ばかりになると、強い風に凧は壊れてしまうだろうし。
この二つのバランスを上手くとらなければ凧は上がらない。
思えば自分は、『ほとんど凧』的な人生を歩んできたような気がする。
サッカーで言えれば、全員攻めである。
おいおい、キーパーくらいは残ってようぜ。
そりゃクルクルも回るよね。
凧はしっぽをつければ安定するが、そう高くは飛ばない。
しっぽをつけなければ高く飛ぶが、安定しにくい。
そういえば子どもの頃、自分は絶対にしっぽをつけなかった。
最近では『上げる自分』と『凧の自分』がようやく仲よくなってきている模様(幾つだ)。
さあ、高く飛べるように、飛んでいられるように、バランスよく頑張らねばいけない。
釣り竿を使うのも手やね。
【そっと咲き乱れている】
年々椿が好きになってゆく。
主張せんのに存在感あるよね。
きれいだ。
冬がよく似合う。
【おーおー】
近所で夜間道路工事。
ドカドカすごいね。
うるさいけど、寒い中頑張っている人もいるのだ。
もうじき気持ちのよい道路を歩けるのが楽しみ。
【Nuno Bettencourt『Something About You』】
『Extreme』(エクストリーム)のギターリスト、ヌーノ・ベッテンコート。
学生の頃、ギターのコピーに熱中した。お師匠の一人なのだ。
ヌーノモデルのギターも持っている(笑)
今でも好きなギターリスト、アーティスト。